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 ゼミが終わり、一辺約五メートルの正方形に近い小さな教室で、西之倉大地とゼミ教官の永井忠正が二人きりになった時だった。

 「西之倉君は本が好きでしょう?図書館でバイトしてみない?」 電源ケーブルを紙袋に片付けながら、永井が言った。少し唐突である。
 永井は西之倉の所属するゼミの教官で、N大学の教授だ。専門はコンピュータで、コンピュータと人間の関わりや、情報システムの今後について研究しているようだ。つまり、そのように、西之倉は把握している。実際詳しいことは分かっていないから、全くの見当違いをしている可能性もある。永井には、その年齢の大学の教員相応の数の著作があるようだが、西之倉は一冊も読んだことが無かった。
 いつも笑いをたたえて、少し髭を生やして、夏でも長袖のYシャツを着て、品のいいネクタイを締めて、高級そうなスラックスを着て、ほんの少しだけくたびれた革靴を履いている。総合的な印象としては、感じのいいおじいさん、といったところだった。その程度の認識しかなかった。その程度の認識しか必要としていなかったとも言える。

 「いや、本は別に好きってわけじゃあ・・・」 西之倉が言った。
 永井に他意が無いことはわかっていたが、本を好きだと思われていたことが少し照れくさく、また、迂闊だという気持ちになっていた。西之倉には、自意識過剰になりすぎるのも病気だが恥を無くすのはもっと酷い病気だ、という思いがあった。密かに、人前での読書を控える決心をした。
 「あそう。図書館でバイトを募集しているらしいんだけどね、誰かいい人いないかって言われたんだ、佐竹さんに」 佐竹とは図書館の司書である。 「時給は1000円だって」
 「やります、やります。いつからですか?」 西之倉が声を弾ませた。体もはずんでいたかもしれない。図書館のバイトで時給1000円は破格だ。
 「さぁ?佐竹さんのところに行っておいで。まだ6時だからいると思う。あとはぼくが片付けるから」
 「ありがとうございます。これだけやって帰ります」 そう言って西之倉は残りのケーブルを紙袋に入れるとそれを雑に掴み、自分が使用していた液晶ディスプレイと一緒に、教室の廊下にあるロッカーに運んだ。そこから教室にいる永井に向かって叫ぶ 「じゃあおつかれさまでした」  永井が片手を挙げたのが見えた。