日常の明度

いまは月に一度か二度、恋人に会える。もう数え切れないくらい会ってるのに、毎回、こんな幸せなことがあるのかと驚く。
反面、別れて家に帰る時、また元の生活に戻るのだなと思う。車で1時間半かかる道を帰りながらゆっくりと明度の低い世界へ戻っていく。
もうずっとこれには抗えない。あの人と会っている時間に比べたら、他のすべてのことは無価値に等しい。それが今のぼくのいかんともしがたい価値観だ。
この自覚をしてしまった上で、それに囚われないようにすることが、ぼくのここ数年のテーマである(自覚だけだと中毒になり症状は階乗に悪化するばかりである)。


彼女に知り合えたことでぼくは新しいぼくを発見できた。知りたくないこともあったが・・・、結局はプラスだと思う。これはぼくの意思だ。転んでもただでは起きないというやつだろうか。後悔なんて仕事は、他の人に任せておけば良い。格好いいようなことを言うが、これは別にスキーをするのは他の人に任せておけば良い、というのと同じで、ぼくはやらないけどね、ということだけのことである。好き嫌いの問題だ。


あと1週間で会えると思うと日常の明度も少しずつ増してくる。人当たりも良くなり、いつもの態度を反省してみたりもする。こちらが明るくなれば、向こうも朗らかに接してくれる。そんな当たり前のことに気づいたのは、つい最近のことだ。