時間だけ流れてく変な人生

面白い人は、面白い人だからずっと面白い、わけではない。面白く生きていくために、それなりの努力をはらっているのだ。
例えば、松本人志は面白いことを言うが、松本人志が面白い人だからではない。おそらく、面白い事を言える自分であるために、頑張ってきたのだろう。
自分の調子よさをキープするには、環境が大事だ。面白くあり続けるためには、面白い人たちと付き合わなければならない。退屈なものに囲まれていると、しだいに侵食され、いつのまにかつまらない人間になってしまうからである。
人はなりたい自分になるため、自分の周りの環境を整えるし、侵食されないように、時に侵食する。取り込まれる前に、反発して、攻撃するのだ。
面白くありたいし、鋭くありたいと思う。でも最近のぼくは侵食されてばかりだ。退屈なものに囲まれて、防御に回っている。防御では、何にもならない。この類の防御は、ただ攻められているのと同じだ。守ってばかりでは、どんどん侵食される。攻めなければ。攻めて初めてプラスマイナスゼロである。
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今日は変な妄想をした。ぼくをだめな人間にする人達を目の前にして、これは神様が「こういう退屈な人間も一応作っておこう」、という意図で作った人間なんじゃないか、というものである。
何の鋭さも無い。
世の中がこんな人間ばかりなら、ぼくもこんな人間だっただろう。そんな世界だったら、それは神様か誰かが作ったのかもしれない。
しかし、世界はそうではない。あんな法則を、あんな偶然を、あんな人間を、あんな気持ちを、誰かが作れるとは思えない。
よく、あり得ないような偶然から神様の存在を信じたりする人がいるが、ぼくはそういう時逆に、神様っていないんだなと思う方だ。