ぼくの友達

今日もとても暑い。きっと、夏休みの間じゅうずっとこうなのだ。だから、暑いという理由で外に出なければ、この休みを無駄に過ごすことになる。暑くても外で遊ばなくては。家族も、そう言っている。
だいいち、もう家の中で遊ぶのには飽きた。一人は退屈だ。正確には一人じゃないけれど、大人は一緒に遊んではくれない。たまの気まぐれで遊んでくれても、遊んでいる気がしない。たぶん子供と大人では遊べないのだ。対等な関係じゃないからだろう。ぼくも経験があるけれど、年下の子と遊んでみても、遊んであげているという風になってしまう。そうするとぼくも退屈だし、きっとその子だって、面白くないだろう。

公園に行くと同い年の子が沢山いる。その子たちと遊んでいると、とても楽しい。この楽しさは家の中でパズルをしたりテレビゲームをしたりするのとは異質の楽しさだ。極上の、かけがいのない、楽しさだと感じる。
みんなで遊ぶのは楽しい。でも、特に仲良くなった子と二人で遊ぶのも楽しい。

二人きりで遊ぶ、というのがなんだか秘密の感じがするし、その秘密が二人の信頼を高める。故に、とても深く踏み込んだ人間関係ができる。これが楽しい。皆で遊んでいる時とは違う楽しさを感じる。
そしてこの楽しさは、一つ一つが違うものだ。あの子と遊ぶとこんな感じで、あの子と遊ぶ時はこんな感じ、という風にそれぞれが違う。きっと、それぞれの時で、それぞれのぼくになっているのだろう。誰と遊ぶかで、どんなぼくになるかが決まるのだ。

最近知り合った子がいる。遠くの町から引っ越してきた、ぼくより二つ年上の女の子だ。彼女と遊ぶ時のぼくは、ちょっと、背伸びをしている。気に入られようとしているのか、あるいは、対等に扱ってもらうためにそうしているのか、よくわからない。けれど、そんなことよりも、背伸びをするのは楽しかった。

ぼくらは公園で知り合い、それから、ちょっと遠くの神社でよく会うようになった。町の外れの森の中を進んだところにある、もう幾年も手の入ってない、誰もやってこない神社だ。

「何か涼しくなる方法は無いかな」彼女は唐突に言った。いつも唐突なのだ。きっとぼくを驚かそうとか、あるいは、試そうとしているに違いない。
「そんなに暑いかな。ここはまだ涼しい場所だと思うけど」こう言っている間にぼくは時間を稼ぐ。「えっとそうだな。例えば全身ずぶぬれになるっていうのはどう?」
「嫌よ。気持ち悪いもの。」否定されてしまった。「私は現実的な話をしてるのよ」
「現実的ねぇ」
「またはじまった。あなたの『ねぇ』。そうやって時間を稼いでいるんでしょう」
「またそういう嫌なことを言う」
「ほんとのことよ」彼女は冷たく言う。
「ほんとのことなら何でも言っても良いのかな」ぼくは反撃のつもりで言った。
「そんなことはないと思うけれど」空中に目を彷徨わせながら彼女は言った。「話を逸らしたわね」
「涼しくなる方法ね・・・」こうやって時間を稼いでいるうちに、いつもぼくは名案を思いつく。「プールに行くのはどうかな」
「それはいいわね。ずっと行ってなかったし。ちょっと面倒だけど、行こうかな」

2時間後に学校のプールに集合することにした。ぼくらの家は森からも学校からもそれほど離れていなかったけれど、それぞれ自分の家に道具を取りに戻ったついでに、昼食をとることにしたのだ。

昼食は冷やし中華だった。ハムやきゅうりや卵が入った、手を抜かない冷やし中華だ。飲み物は麦茶。
こんな幸せを、人生のうちにあと何回味わえるのだろうか。あとで彼女に、聞いてみようと思った。また背伸びをしていると思われるかもしれない。

プールにはほどんと人がいなかった。「お盆だからよ」と彼女は言っていた。その時ぼくは、「ふうん。お盆ねぇ」と言った。例の時間稼ぎだ。けれど、お盆というものがよくわからなかったので、それ以上何も言えなかった。彼女も何も言わなかったから、もしかすると彼女もよくわかってないのかもしれない。

プールは冷たくてとても気持ちよかった。でも、彼女と競争して思い切り泳いだら、具合が悪くなった。唇が紫になって、なんだかおなかも痛い。

「無理するからよ」彼女は言った。
「ちょっと体調が悪いのかも」
冷やし中華を食べ過ぎたのかもね」めずらしく彼女がぼくのフォローをしてくれた。
「うん」ぼくは言った。こういう時ぼくは、素直になることが出来る。
「少し休んでなさい。私のバスタオルを貸してあげる」
「ありがとう、姉さん」