長くなるのでトラバ

id:wataame922wataame餡
すいませんが全文引用。

小学生位のころかな、新幹線に吹っ飛ばされたり、槍に身体を貫かれることをよくイメージしていた。そんなの普通に考えたら即死だよ。なんでそんなことをいつもいつもふと想像してたのかわからないけど、今で言えば喉笛かっきったり、腕に刃物を力いっぱいたてることを想像するのと同じような意味をもつのかもしれない。

まあもっとも本当に実行するかどうかには大きな隔たりがあるが。

なにが抑圧されているのだかわからないが。きっとみんなもそんなようなことをいつも想像しながら毎日を過ごしているに違いない。新幹線に吹っ飛ばされる自分を想像してるに違いない。なんか似たようなことあったらコメント下さい。
http://d.hatena.ne.jp/wataame922/20051011#1129019779

新幹線に吹き飛ばされるというのは思ったことが無いなあ。中学校の頃とかは、狙撃することとか、狙撃されることをよく考えていたけども。
と、昔の感覚を思い起こしていたら、小さい頃(小学校くらい)の癖を思い出した。
とりあえず少年期繋がりということで(あと妄想の癖という部分で同じのような気がしたので)一つ。
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ぼくは子供の頃・・・これは何て言って良いのかわからないのだが、よくバランスをとっていた。
例えば椅子に座っている時、「何かの拍子」で右足をトンと床につけたとする。すると、左足をトン、と「同じ強さで」しないと気が済まなかった。
弱かったらもう一度左足を、軽くトン。強すぎたらバランスをとるため、右足でトン。これがずっと続く。トントントントン・・・断わっておくが、楽しくてやっているわけではない。終わりたいのに終われないのである。だから子供の頃は「何かの拍子」が怖かった。
いや、怖いというよりも、もっと日常的で卑近な倦怠感だ。「何かの拍子」が現れたときは、しかたない、という気分で心が染まった。暗闇の中で泥を踏んだような気持ちが、支配した。
空中で指で字を書いているときにも、「何かの拍子」はよく現れた。これは、うまくかけるまでやめられない、というものだ。

今は、トントンのバランスも、空中で字を書くことも、途中でやめることが出来る。昔はやめられなくて、頭をかきむしりながら、時には泣きながらやっていた。何が違ったのだろう。いつ治ったのだろう。不明である。


(画像は本文とは関係ありません)