建物めぐり・廃屋めぐり

昨日は村田君と出かけた。ビリヤードをして海に行ってご飯を食べてから(ここまでが予定の範囲で次からやっと「遊び」になる)、彼の通っている大学でまだ彼が行ったことのない校舎を2人で徘徊し、その次に、ぼくの大学のまだぼくが行ったことのない新校舎を2人で徘徊した。2箇所とも、別に入って悪い場所ではないのだが、誰もいない校舎に何の用もない状態で1人で徘徊するのはお互い潜在的な抵抗があったのだろう。それが2人になったことで今回の2箇所での徘徊が実現したのだ。
そもそもぼくらは建物徘徊好きで、昔から新しい建物ができると2人でよく行った。これは村田君がぼくに提案して実現するケースが多い。この遊びは彼が開発した分野だ(ぼくらの間で)。
新しい建物だけでなく廃屋にもよく行った。これはぼくの開発した分野。
廃屋に行くには、まず廃屋を探す必要がある。初めは自分たちが行動するエリア内で日頃「おそらくあれは廃屋だろう」という目星が立っている箇所をまわったが、ぼくらの行動範囲などたかがしれており、すぐに行き尽くした。そこでぼくはゼンリンの住宅地図を年代別に見比べ、ずっと「空き」の印になっている家だけに印をつけ、そこをまわるというやり方を開発したのだ。これはぼくらの廃屋めぐりにとってかなり画期的なことだった。一気に廃屋候補が増えた。
廃屋めぐりは失敗も多かった。廃屋と間違って入った家の玄関に靴が並べてあって慌てて退散したり、塀を乗り越えようとしたら近所の人に怒られたりしたこともあった(これは本物の廃屋で、またあとで侵入したのだが)。夏に林に囲まれた大きな屋敷に入って虫に刺されまくったり、天上からの崩落物で怪我をしかけたりもした。
だけどぼくらは全く懲りなかった。やめるには楽し過ぎたのだ。行動中も楽しいが、放課後に机の上に紙を広げての作戦タイムが最高だった。次からは懐中電灯を持っていこう、見つからないにはどうすれば良いか、見つかった場合はどうするか、できるだけ逃げ切るが完全に見つかったら謝ることにしよう、何を持って帰って良いことにするか、何には手をつけないか。考えることは無限にあるように思われた。


ぼくらの遊びは建物めぐり・廃屋めぐりだけではない。もっと実現不可能なことも、ひどい興奮を伴って語られた。だが今はそれを懐かしむだけだ(これは多くの笑いを伴う)。
無茶なことやったなぁ、変なこと考えたなぁ、できっこないよなぁ。
いつの間にそうなったのだろう?もう、ただ危険だからとか、とっぴょうしもないからという理由で、何かをしようという気にならなくなった。建物めぐりは続けても、すでに廃屋めぐりをやめたのは、そのためだ。
この懐かしさは、悲しさは伴わない。戻りたいとか、もう一回ああいうことをやりたい、という気分にならない。する必要が無いからしないだけで、またやりたければやれば良いという思いがある。
ぼくらは何も決めてない。
ああ・・・話しが暗い方向に行くが、決めている人と接するのは疲れる。
たとえば、学生の頃は良かったと言う人。本当にそう思うなら、また学生に戻れば良いと思うが。もう戻れないと決めているのだろう。たぶんそう決めないと、辛いのだ。
そう考えると、ぼくも何も決めてないとは言えないような気がしてきた。できるだけ決めないように意識しているというだけで、決めている人を非難することはできないのかもしれない。
でもやはり、金持ちになりてぇなーとか、小説家になりたいとか言っている人を見ると、なれば良いと思うわけで・・・。
とか言っているなら、ぼくは、決めている人とは一切関わらずにおれば良いわけだが、なぜかこうやって文句を言っている。これはつまり・・・防御だ。固定観念をできるだけ受けつけないようにしているのだろう、たぶん。それには常に構えて、来た弾をすべて打ち返すような姿勢でいないといけない。だから疲れるのか。
肩肘張るなよとか、気楽にいこうというアドバイスを受けることがあるが、そうしないと攻撃され、取りこまれ、侵食されるので、そういうわけにはいかないのだ。あいつらはその道理をわかっていやがらねぇから困る・・・。

本ブログでは山君と村田君の話しかでてこないから友達が2人しかいないんじゃないかと思っている人がいるかもしれないが、それは間違っている。いくらなんでもあと3人くらいいるんじゃないだろうか。今ちょっと思い出せないが。