日記は排泄ではないのでいつでもやめられる

実家に帰ってきている。何も書かなくなって4日経ったわけだが、少し落ちつかない気分である。ネットで日記を書く行為を、排泄のようなものだと言っていた人がいたが、そう考えてみたら、ぼくはもう4日もうんこを出していないのだ。これで落ちついていられるわけがない。
ところで、日記はうんこと違って、溜めがあるほどたくさん出るわけではない。出さなければ出さないで、いずれ出なくなってしまうのである。この点、日記はタバコなどと同じで、一種の中毒行為だと言える。間違っても排泄などという生理的な現象ではない。
つまり、日記を排泄というのは間違っている。そして同じく「NO MUSIC NO LIFE」とか、「NO CINEMA NO LIFE」などもおかしい。言うなら「NO JOB NO LIFE」とかにしてほしいものだ(あるいは「NO ISYOKUJU NO LIFE」など)。
ということは、ぼくももう少し我慢すれば日記を書くのをやめられる訳だが、別に書きたくない訳ではないので我慢する気はない。タバコをやめない人の中にも、やめられない人と単にやめないだけの人がおり、単にやめない人の中には、やめようと思えばすぐにやめられる人もいることだろう。そう宣言している人も多い。
しかしその中に、「やめようと思わないこと」に努力を払っている人の何と多いことか。


喫煙者だけを攻撃するつもりが、範囲が自分にまで及んできたのでこの辺りでやめることにする。精神衛生を守るには、答えを出さないこと、突き詰めないことが時に大事である(「時に」は時に「常に」を意味する)。