さくら魔力

さいきん毎日みているサイトがある。
これだ→http://weather.goo.ne.jp/sakura/p0027.html
新潟の花見どころ各地の開花状況である。

花見に行く予定はないが、実際に買わない不動産や電気屋のチラシをみるのと一緒だ。つまり、行きたいという願望は持っている。
ああ・・・花見くらい、すっと気楽に行けないものだろうか。21にもなって花見くらいのことができないでどうするのか、と思う。
もっとも、できないということはない。ある程度のことを我慢すればできる。去年は我慢をして、山君と小島の3人で花見に行った。しかし我慢していくものでもなかった。もし、雪合戦をするには24時間の拷問に耐えなければならないとしたら、誰もしないのと同じで、花見もあんな最悪な思いをしていくものではない。やるなら普通にやりたい。
いちばん簡単なのは1人で行く花見だが、これもしたことがある。
あのときは新潟駅のとなりの白山駅に降りて、駅近くのコンビニでお酒を買うと、信濃川堤防にぶつかるまで歩いた(すぐにぶつかる)。その堤防(やすらぎ堤と呼ばれている)にずらっと桜が咲いているので、そこのベンチに腰掛けて花見をしたのだ。
3人で出かけたときのような我慢はなかったが、そのかわり、何も無かった。つまり、むなしいのである。ぼくの周りに、団体できている花見客が多かったのも一因だったと思う。みんな1人で来ていたらまた違ったのだろうが(悲しいことにそんなことはありえない)。
なので手持ちの酒を飲みきるとすぐにベンチから立ち上がって、左側の昭和大橋の方へ歩いた。ちょうど新潟駅へ帰る方向である。またコンビニでお酒を調達すると歩きながら飲んだ。ひととこにいるよりも、その方がまだましだったのだ。ぼくのような者は何がしたいかというよりも、何よりマシだということでしか動いていないような気がする。
途中からやたら元気になってくる。お酒はなくなるたび、1缶ずつ途中のコンビニで買う。これを新潟駅につくまでやった。しかし駅に付いて立ち止まったとたん吐き気がして、今まで楽しかったのが地獄になった。子供の頃お腹が痛いとき、二度悪いことはしませんから許してください、と神様に祈ったものだが、この時もそう祈りたい気分になった。いくら吐いてもどうにもならない。ずっと体がふるえている。トイレの中で、自分のゲロを踏みながら、これで死ぬのかもしれないと思った。どれくらい経ったかわからないが、しばらくするとおさまってきて、なんとか終電で帰れた。
花見にいい思い出が無いのである。
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新潟の花見どころの多くは、今が見どころのようだ。今年はどうなるだろうか。家で1人、行かない方がマシだと思うか、それとも1人や3人でもいいから行った方がマシだと思うのか。どっちにしろ苦痛である。結局、どちらがよりマシかという問題になる。なので、毎年桜が咲くたびに困るのである(同じ理由で、お祭りや花火なども困る)。
普通に何かをするのは難しい。