重力ぶっとばす

ぼくの部屋は今、平面が希少。高騰していると言ってもいい。とにかく平らな所には何かがのっかっている状態だ。
平面が減る原因は、ある平面の上にのせた物の上面が平面ではないというところにある。
考えてもみてほしい。紙に紙を重ねても平面は減らないが、ボールをのせてしまうと、そこは平面ではなくなってしまう。紙の上にボールはのるが、ボールの上に紙は(平らに)のらないのだ。紙の上には、缶ジュースでもコーヒーでものせることができるが、ボールの上ではそうはいかない。
「平ら」というものがどれだけありがたく、また貴重であるかお分かりいただけただろうか。こう考えると、地球が平らで本当によかったと思う。もし丸かったら、歩けたものではないだろう。家も建てられないに違いない。
とにかく、平らな場所を見つけると、すぐに何かをのせてしまうのが悪い。それが本であれば、10冊は軽いのだが、コーヒーの入ったマグカップとなると、そこでジ・エンドとなってしまう。打ち止めである。それ以上何かをのせることはできない。そうすると、また他の平面が犠牲になる。
すでに、PCの周りは全滅している。下地に文庫本がまんべんなく詰まれ、その上になんだかよくわからない、メモ書きやえんぴつ、シャープペンシル、CD-ROM、ティッシュ、ピーナッツ袋、ティッシュ、飴、ティッシュ、空き缶などが積まれている。ずっと文庫本だけを積んでいけば平面を確保できるのに、他の色んな、上面に平面を持たない物を積む事によって、それをだめにしてしまっているのだ。
バカだなぁ、と思われた方もいると思う。だが実は、この場所に関してはこれでいいのだ。あのまま文庫本だけを積み上げていたら、やがてモニターを隠してしまっていただろう。しかし、好例はこれだけである。あとは全部悪例。「平ら」は本来、有って困るものではないということがわかる。そして、あればあるほど良い。この点は、お金と一緒だろう。無いと非常に困るという点もそうだ。
人は平面を失うとどうなるか。今まで何かをのせるなど考えもしなかったような小さな平面にまで手を出すようになる。たとえば、辞書の上に将棋の駒入れがのっていて、その上にCDケースがのっていたとする。もうこれは、普段なら「平面なし」、これ以上物を乗せる事は不可能、と判断するはずだ。しかし、平面に飢えている人間はそんな場所にまで手をだしてしまう。「藁にもすがる」とはこのことだろう。ぼくはなんと、そのような場所に、熱々のコーヒーを乗せてしまったのである・・・。
その結果どうなったかは言うまい。各自ためしてみるといいと思う。CDケースって、恐ろしいくらい摩擦係数が低いんだよ。
(全部はこぼしませんでしたがたいへんなめにあいました)