山君はよく渡辺君に話し掛けられる

さて、学校とは舞台である。大学に通っている僕は、毎日それを痛感しているのだ。
容姿美しい主役達は自分達の役割をきちっと理解し、「ひらひら」という擬態語をあてたくなるような動作を心がけているし、脇役達は主人公の邪魔にならない程度に抑制したふるまいである。通行人Aは通行人Aとしての分をわきまえているし、まちがって舞台に上がってしまった裏方達は、自分の姿が観客の目に触れぬように絶えず努力している。
そこへ、自分が舞台の上に立っていることをわかっていない人間が現れた。仮に渡辺君としておこう。
彼が登場すると、観客はざわめきはじめる。ざわざわ、ざわざわ。何かトラブルかしら・・・。あれも演出なのかしら?
これではよくわからないと思うので、僕の知っている渡辺君の特徴を列挙する。
授業中の挙手率は100%、自分が喋りたいと思った相手には、仮に初対面だとしても、相手がどんなに引いていたとしても話し掛ける。彼の耳には、「ここは舞台の上なのよ!」という声は聞こえていない。そして彼には衣装係の忠告も耳に入らないようで、真冬にTシャツ一枚の上にトレンチコートを羽織るだけという姿で登校し、その上「さむい!さむい!」と言う事で観客の度肝を抜いた。
やがて舞台の出演者達、特に主役達は、渡辺君の振る舞いのせいでお芝居が成立しないことに苛立ちはじめる。そして、主に「目」で送られる「今は舞台の上なんだ!」という渡辺君へのメッセージが一切効果を発揮していない事を知ると(というか彼と目を合わせることに恐怖を感じ始めると)、芝居を放棄するのだ。
そう、学校とは舞台にあらず。それを渡辺君は僕達に教えてくれたのだ。ありがとう渡辺君。僕は通行人Aの役から開放された。しかし、依然として、「まちがって舞台に上がってしまった裏方達」は、己の姿を観客の目にさらさまいという涙ぐましい努力を続けているのであった。END
(もちろん「観客」とは僕らの妄想です)
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