日記

夕日をみた。僕の夕日をみたというのは、夕日が沈むところをみたということだ。そしてそれが僕の夕日観賞においてのベストタイムだ。今日の夕日ベストタイム、つまり日没の時刻は17:20だった。それを見た。帰宅して窓を開けると、向かいの白い建物が紫に染まっていたので、これはいい夕日ですね、と思い、わざわざ外出して夕日を見た。何度も言うが、見た。
日没とは太陽が地平線に沈むことをいうが、今日の日没をたとえるなら、熱く焼かれて粘度を手に入れた丸い琥珀が地平線に触れてすこし潰れるように僅かに形を変えた後、その己のもつ熱のために地面をとかして地中へ沈んだ、というようなところだろう。ところでこの「例え」は僕の文章能力の限界がよく表れているような気がする(限界がもしあれば)。

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僕がこのアパートへ越してきたときには回りに夕日をさえぎるものは無く、日没の時間になると地平線からの太陽光線が僕の家の玄関にふりそそいでいた。だから当時は玄関からもれてくる光に注意していれば、夕日を見逃す事は無かった。1年に何度か、夕日と僕の玄関の覗き穴と僕の部屋が一直線に結ばれる時があり、そういうときは覗き穴によってしぼられた太陽光線を手のひらや胸ににあわせてみたりして遊んだ。1年のうちの何日かの、そして夕日が沈むたった1、2分だけできる遊びだ。しかし今は夕日から僕の家の戸との間をさえぎる建物がいくつかできてしまっているので、それはできない。
夕日遊びを邪魔する建物が建設されはじめたときに、僕の頭の中で「ヘイヤッサー!ピーピーピーピピー♪」と平成狸合戦ぽんぽこのメロディーが流れ、彼ら狸と同じように、自然を破壊し自分達の家を建てつづけた人間に対して激しい怒りを覚えたかということはなくて、ただ「とうとうきたか」と思っていた。つかの間の遊びだという事がわかっていたのかもしれない。というか僕はなんに対してもこの類の備えをしているような気がする。僕の家が地震で潰れても、とうとうきたか、と思っているような気がする。心のふり幅が大きくならないように、いつからか出来上がったシステムだ。