一人出いる奴はおかしい。群れている奴はおかしい。

ネットをしてたら、一人でいる事についての話がたくさんあった。掲示板のスレッドのタイトルでは「一人でランチできますか?」みたいな。
だいたい話はこうだ。どうして群れていないと行動できないの?という知っているのに聞く皮肉な質問。そして「私は一人で行動できる」という人たちの、友達はいるけど一人でいたい時もあるよという私は自由自在だぜという主張。そして疎外されがちな人や、いつもは群れている人たちの、一人でいる事に不安を感じるのが情けないという反省などがある。もっと色々あるが省く。本当に色々ある。
問題は、同じだ。この話に関心があってそこに参加する人たちは、そういう人たちなのだ。つまり、自分のスタンスをもっているが、なぜそのようなスタンスを持つようになったのか、というところに弱みがあるのだ。
群れていると安心する、一人でご飯を食べたくない、という心理はわかりやすいと思うし、そういうスタンスを貫く人はいると思う。これは別に悪い事ではない。しかしなぜこれが問題に(話題に)されるかというと、「一人で堂々と行動したいのに残念ながら(あいにく)群れてしまっている人たち」が多いからだ。その人たちは、群れることによる恩恵を自覚的に手に入れている人たちと自分を一緒にして(たしかに現象だけみたら一緒だ)、批判しがちだ。一人で行動できる人はえらい!と主張するのだ。余計なお世話だと思う。自覚的にその状態を良しとして手にいれている人達は、何言ってんの?という感じであろう。しかし無意識に群れている人は、意識下の打算を指摘されたなぁと思う人もいるかもしれない。
「一人が好き」とやたら主張する人たちは、この「残念ながら群れてしまっていた状態」から脱却し、一人で行動できるようになった人たちだと思う。問題は同じなのに。一人でいることを過剰に意識していることに変わりはない。本当の自由人とは、自分が何ものにもとらわれていないことにすらとらわれていないはずだ。僕にはどういう心理状態なのか見当もつかない。そんな人は、何ものにもとらわれている僕が、自由人だと認識する事すらできない境地にいるのかもしれない。
なんだかよくわからなくなってきたのだ。いや、わかっている。もう少し的を絞ろう。
僕の事を書きます。
僕は一人で飯を食うのに抵抗はありませんが、仲のいい友達と食べる飯もまた美味しいものだなぁと思います。合掌。