まだ7時である。もうミドリ君とは別れてしまったのでやることがない。別れたといってもつきあっているわけではない。恋人と別れることを「別れる」と表現することがかなり一般的でまたよく使われるので、普通に人と別れた時にどういえばいいのかよくわからない。これは、僕に語彙がないのがいけないのだが。というか「付き合う」という言葉にしたって、恋人になるのか、ただちょっと一緒に行動するだけなのかわかりにくいのだが。やっぱり前後の話から推測するしかないのか。正確に、一言でわからせようとしたら口語的じゃない熟語を使わなきゃいけない。その場合相手がその言葉を知っているかについて考慮する必要があるが。だいたい、ミドリ君と話すときは、その心配がない。よく人は、自分と話が合う人と、自分と同じレベルの人と喋りたいというが、そんな人とばっかり喋ってたら逆に一切あたまを使わないのではないかと思う。
というわけで、やはり、家に帰っても仕方がない。やっとおやじの家へ行く。
駅の向こう側、500メートルも歩くと、平屋の一軒家がある。木造である。玄関に、「園田」という今にも朽ちそうな表札がかかっている、かかっているというより、釘によってかろうじてひっかかっている。こんな門構えだが、玄関をあけて中に入ると、かなり綺麗だ。床は磨かれて黒く光っているし、戸のたてつけなんかもしっかりしている。ふすまをしめるときのすべりがよくて、スコンと音をたててしまる。綺麗というより、清潔である。
「ガラガラ」と玄関を開けた音できっと僕が来たことに気付いただろうから、何もいわずにそのまま家に入る。靴だけはちゃんと脱ぐ。おやじは、将棋盤に向って詰め将棋の本をひろげていた。
「こんばんは」
「こんばんは」
おやじは後ろを向いたまま、挨拶を返した。丸い背中。
寂しい老人の一人暮らしなのだから、若者が来た時くらいうれしがったらどうだろうか。きっと、抑制している。70にもなろうという老人がそんなところで抑制するのが知性的だと思う反面、すこし、勘に障らないでもない。相変わらずサディズムを刺激されるおやじだ。
「何やってるの?」
詰将棋
わかっている。だんだんイライラしてきた。だんだんと言っても、まだ二言しか交わしていないのだが。
僕はだまってお湯を沸かしにいった。二人分のお茶ができると、一つをおやじの横の床に置いた。板間である。この家に畳の部屋は、一部屋だけあり、そこでおやじは寝ている。他は板間だ。他は板間といっても、他に部屋は二つしかないのだが。この部屋と、物置と化しているここより広い部屋の二つだ。
「お茶のみなよ」
返事はない。詰将棋に集中しているのだろう。17手詰。僕には解けそうもない。僕はお茶をすすった。この続きはまた後で書くとしよう。