聞こえにくいアナウンス

ぼくが乗る電車だけではないと思うが、いつも、電車が動いている時に次の目的地のアナウンスをする。それが不思議で、不満だ。と言うのも、電車が動いている時は、ほとんどアナウンスが聞こえないのだ。そのせいで何度も乗り過ごしているくらいである。
長い編成の電車に乗ると、位置によっては、今どの駅に到着したのか全くわからない、ということがある。風景を手がかりにしようとしても、あまり変わり映えのしない風景だったりして、「ここだ」と思って降りたら、まだ全然手前だった、ということも何度かあった。
目的地まで何駅あるかを憶えておけば、止まった回数を数えるだけで良いが、一度でも数え忘れたり、眠ったり、眠ったかもしれない、と自分の記憶力に疑いを持ち出したりしたら、もうわからなくなる。電車のアナウンスのせいで、いつ降りたらよいか、いつも自信が持てない。唯一自信を持って下車できるのは、「確実に乗り過ごした」と判明した時だけだ。
簡単な事なのだ。停車して静かになった時に、「ここは〇〇駅」、そして、「次は〇〇駅」と言ってくれれば良いのだ。なぜ静かな時間は黙っておき、充分にうるさくなった頃に、聞き取りにくい声でアナウンスをするのか。
どう考えても、聞かれたくない、と思わざるを得ない。小さな字で書いてある注意書きみたいだ。タバコのパッケージを見習え、と言いたい。あれは、本来のデザインを犠牲にしてまで、注意書きをでかでかと書いているのだ。このまま乗り過ごし続ければ、いつかはタバコの害同様、乗り過ごしの害が注目され、改善するかもしれない(改善しないかもしれないし、そもそも注目されないかもしれない)。