大きく振りかえって

日記を書いていて良かったなと思う。ぼくの日記はいわゆる日記ではないが、昔書いたものを読み返すと、ゼミ(及び卒論)の苦労や、山君や村田君と遊んだこと、アパートでの生活が全部1つの感覚として立ちあがってくる。ぼくにとってこれらは全て一緒のものなのだろう。つまり、1つのものとして処理したのだろう。
大学時代は他にも想い出がある。それらはまた別に処理され、別の感覚を持っている。それぞれ密接はしているが、お弁当のようにちゃんとしきりがある。時代を振り返るという行為は、お弁当のおかずに順々に箸をつけていくのに似ているかもしれない(あまり良い例えではない。「しきり」と言った手前「お弁当」を例に出してしまったが、これが良くなかった。過去の自分に振りまわされたケースである)。