「まだ人に伝えられる段階にないもの」を話題にすると悲しくなる

本ブログでは、ぼくのアイデンティティというか、核心の部分が語られることはあまりない。いつも、一番大事で一番考える時間を割いていることからはかけ離れたものばかりを書いている印象がある。稀に、いかにも深刻そうなことを、秘密を打ち明けるように書くこともあるが、それだって、たいしたコトではないのである。
そういうのは、もっと重要なことを考えている時に寄り道みたいに一瞬浮かんだ発想をパパッとアウトプットしているだけ、というようなものが多い。つまり、既に解決済みの話題なのだ。
逆に一番頭を悩ませている事柄なんかは、それに対する自分のスタンスも全く定まっておらず、一体どう考えたらいいのかもわからないようなことだから、ブログに現れることはまずない。


そういう事柄は言葉で考えられないから、ブログにも現れないが、友人との会話にも現れない。
でも稀に、話題にしてしまうことがある。そういう時は、話なんか成立しないから、人と人とが分かり合えないのをわざわざ再確認しちゃって悲しくなるし、自分の「わけわからなさの渦」に相手を勝手に巻き込んでしまって、悪いなぁと思う。
話を聞かされた方はアドバイスをしようとするだろう。しかし、一般論でしか言えないし、ほとんどの場合それはアドバイスになっていない。こういうすれ違い感、グダグダ感はとても嫌だ。アドバイスされる側にも、する側にもなりたくないと思う。

「まだ自分のスタンスが決まっていない悩み事」、あるいは、「まだ人に伝えられる段階にないもの」は話題にすると悲しくなるのである。
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混沌とした話にアドバイスをしようとする時、まず、相手のスタンスを明確にさせるための指針を与えることからはじめようとすれば、すれ違いの悲しさはだいぶ減る。