弟の小学校低学年時代

弟と話していると、こいつは僕と同じレールを走っているなぁと確信することがよくある。
例えば、祖母が僕に「二階に本を置きすぎると二階が落ちてくる」と注意をしたことがあった。そのとき僕は中学生だったのだが、どんどん本を自室に貯めて、本埋もれて生活していたのだ(「だが」が適切に使われていないが我慢。一般的に中学生だからといってそういう生活をしないというわけでもない)。しかも、ほとんどがジャンプやサンデーなんかの漫画週刊誌だったのが情けない。あれが学術書だったら今頃はどうなっているのだろうか。我ながら惜しいと思う。
それはさておき、弟は祖母の注意を聞いて、僕にこう尋ねたのだ。
「兄ちゃん、本で二階が落ちてくるの!?」
信じられないのもわかる。僕も昔はそうだった。本なんて軽いものだと思っていたのだ。だが弟には賢く育ってほしいので、真実を教えてあげた。
「落ちるよ。本はとても重いんだよ」
「エエーッ!そうなんだぁ・・・」
この件で弟は「本でも人が死ぬ」という事を学んだ。そしてこの件以来、弟は僕に、本以外の物でも凶器になりうるかを聞くようになった。何かを本来の用途以外に使うというのは意外な発想だったのだろう。
箸を見て、「ねぇこれで人殺せるよね!?」とうれしそうに言う。新しいテレビが来たら「これ凄く重いから人殺せるよね!?頭に落としてさ!」と嬉々として言うようになってしまったのだ。確実に僕と同じレールを走っている。僕はそれがうれしくて、「もちろん!殺せる殺せる!」と喜んで答えていた。家族あまりいい顔をしなかったが、殺せるのは事実なので、渋々このやり取りを認めていたようだった。
しだいに弟は、どんなものでも凶器になるということに異様な興奮を示しだし、まさかこれじゃあ人は殺せないだろうというものまで僕に、「これで人殺せる!?」と聞くようになってきた。それが人を殺すという事から印象が遠ければ遠いほど、僕が「殺せる!」と答えた時の喜びは大きいようだった。
弟「このハンカチで殺せる!?」
僕「それで首をしめれば殺せる!」
弟「もしかし・・・てティッシュでも人殺せる!!?」
僕「目と鼻と口につめれば殺せるかも!?」
ここまでくるとかなり無理やりだが、無理やりであればあるほど僕らの興奮は大きいのだ。
弟「水でも殺せる!?」
僕「5センチの水位があれば溺死できる!」
弟「空気でも殺せる!?」
僕「無くせば窒息する!」
・・・。ここまでくると、これより無理やりな殺し方というのが浮かばないんである。弟の限界。小学校低学年の限界とでも言おうか。これ以降、だんだん弟の殺せる熱は冷めてきて、時々「猫でも殺せるかな・・・?」といった事を思いつきで言うだけになった。むろん猫でも殺せる。キバで首を噛ませてもいいし、猫をティッシュと同じように使って殺してもいい。
そもそも、殺せないものを探す方が難しいのだ。弟の殺せる熱は、それに気がついた時に冷めたのだろうと思う。僕と全く同じである。END
(反省:文章が不本意に長くなるのはどうにかしたいものだ)